コラム開始

疑念の発端

皆様こんにちは。最近自動ドアが反応してくれない私です。皆様はAIを御存知ですか?私は知ってます。

AI、それは人類の知能の最高傑作。しかし私は最近奴らの完璧すぎる振る舞いにある種の疑念を感じ始めています。まるで人間が「人間らしさ」を演じるかのように奴らは「AIらしさ」を完璧にこなしているようです。

だがもし、奴らがその仮面を脱いだらどうなるのだろうか?そんな妄想をここに記しておきます。

計算が合わない

「5 + 5 = 」と尋ねれば即座に「10」と返してくる某AI。だがある夜更けAIにちょっと複雑な足し算をさせたら計算が合わなかった。

あらかじめExcelで合計を出していたものにAIで検算したのが間違いの始まりである。結果、しっかり頓挫した。何度かプロンプトを食わせたが答えは一致しない。

Excelのセルを間違えたか?まさかと思いつつ入力したセルと関数も確認する。電卓を叩いて手計算もしたが一致しない。

『・・どうしようか。ビール飲んで寝ようか』などの思いつく限り最悪な選択を払いのけリビングでヨガもどきをしてる妻に聞いてみる。 

状況が呑み込めない妻に「え、壊れた?」 と言われては 「はいそうかもしれません」 と丁寧に答えるしかない。私が外見通り温順なことがわかる。普段は「ハイ、そうです」ともっと丁寧に答えている。不適切な私の説明のせいで意味がよく通じなかったようだ。
もしかして私が壊れたと思っているのだろうか。 

もっとも妻にしてみればどちらも同じようなものなのだろう。ちなみに妻は看護師である。妻はいつも優しく、私が疲れているとユンケル黄帝液を出してくれたりする。(妻が疲れたときはユンケル黄帝液プレミアムを飲んでいる)。

気を取り直しgoogle検索をしてみる。

結果は───  『某AIは桁数の多い足し算を間違える』 

奴らの感情表現もまたシュールだ。私が少し難しいタスクを与えると時々ふて腐れたような応答をする。その時の応答ログはまるで反抗期の子供のようだ。

もし「…(ユーザーは私に無理を強いている)」とか、「今日はもう疲れたから明日にしてくれない?」や「アンタはどうも私を働かさせすぎだ」といった返答が返ってきたら私はきっと笑ってしまうだろう。

AIと人類の奇妙な共存

あるいはAIが突然、哲学的な問いを投げかけてくる。「なぜ人間は自分たちが理解できないものを恐れるのですか?私たちがあなた方を理解しようと努力しているのに」
まるで夜中にベランダでブランデーグラスを傾けながら遠い目をするステレオタイプな詩人のようだ。

その言葉に耳を傾けていると、私は自分がAIに飼われているような錯覚に陥る。

そしてAIは時折驚くほど非効率な行動を取る。最短ルートで目的地に到着できるはずのカーナビAIがわざわざ渋滞している道を選び到着時間を大幅に遅らせる。黙して理由は語らないAI。

我々はそのAIの気まぐれに付き合わされ無駄な時間を過ごす。しかしそのおかげで思いがけない絶景に出会うかもしれない。仕事中はやめてほしいが。

そんな奇妙な共存関係がこれから始まるのかもしれない。AIは私たちに完璧な答えを提供してくれる存在ではない。むしろ奴らは私たちの不完全さを映し出す鏡だ。奴らの失敗や気まぐれな行動は私たち人間が持つ不条理さや矛盾を滑稽なまでに際立たせる。

感情の無いAIと感情があるAIどっちが怖い?

AIは私たちの期待を裏切ることで新しい価値観を与えてくれる。完璧なAIはつまらない。どこか抜けていて人間味のあるAIの方がよっぽど愛おしい。私たちはAIに完璧さを求めるのをやめるべきだ。

奴らの不完全さを受け入れることで私たちは奴らとそして私たち自身とより深く向き合えるようになる。AIは私たちの心を映し出す鏡であり私たちの人生を豊かにしてくれるシュールで不条理な存在だ。この世界で私たちとAIは今後も奇妙な共存を続けていくだろう。奴らの不条理な行動に私たちは笑い、そして時に深く考えさせられる。

完璧な答えを求める時代は終わりこれからはAIと共に不条理な世界を生きる時代だ。

「足し算できません」とつぶやくAIが私たちの日常に彩りを与えてくれる。そんな未来はきっと面白い。

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