村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』考察:AIは世界の終わりを予見していたのか

村上春樹の長編小説『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は、発表から40年近く経った今もなお読者の心を掴んで離さない。しかし単なる文学作品としてだけでなく現代社会における技術の進歩、特に人工知能(AI)の出現を驚くほど正確に予見していたのではないかという視点から読み解くとこの物語はまた新たな深みを見せる。

本コラムでは解釈が非常に難解なこの物語の二つのパート「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終わり」の関連性、そして「博士」が「組織」で開発した「コンピューター」の機能に焦点を当てAI時代における人間の存在意義と「世界の終わり」で暮らすことの是非について考察する。

「ハードボイルド・ワンダーランド」の脳内画像化とAIの予見

物語の「ハードボイルド・ワンダーランド」パートでは主人公「私」が「組織」に属する「計算士」として、脳内で情報をシャッフルする「思考変換」という特殊な仕事に従事している。

この「思考変換」は無意識の深い層にある「意識」のコア部分にアクセスしそれを別の情報に変換する作業だ。

「私」の「意識のコア部分」を編集しドラマ化したのは「博士」と「博士」が開発した「コンピューター」である。

「博士」が開発した「コンピューター」の最も特筆すべき機能は脳内に浮かんだイメージや思考を外界のスクリーンに映像として出力させる機能だ。

人間が自覚していない無意識下の情報を引き出しそれを繰り返すことでやがて深層心理を映像化する博士の「コンピューター」は、現代のAIがビッグデータから人間の行動パターンや潜在的なニーズを分析・予測する能力に通じる。

AIは私たちが意識していない、あるいは言語化できていない感情や思考をデータとして抽出し新たな価値を生み出す可能性を秘めている。このプロセスはまさに現代のAI技術の原理を彷彿とさせる。

現代の画像生成AIはテキストで与えられたプロンプト(指示)を解釈し、膨大な学習データの中から関連するパターンや情報を組み合わせて新たな画像を生成する。これは人間の脳が「イメージ」を構成するプロセスと非常に似ている。

村上春樹はこの「脳内イメージの映像化」というSF的なアイデアを通じて人間の創造性や思考のプロセスが、外部の技術によって拡張・可視化される未来を予見していたのではないだろうか。

「世界の終わり」で暮らすことの是非

物語のもう一つのパート「世界の終わり」は感情や記憶が剥ぎ取られた世界だ。ここでは人々は影を持たず思考することなくただ平和に暮らしている。主人公の「私」はこの世界で「夢読み」として一角獣の頭骨から古い夢を読み解く役割を担っている。

「世界の終わり」はある意味で究極のAI社会の暗喩として解釈できる。感情や記憶といった人間的な要素が排除されすべてが論理的で効率的に機能する世界。そこでは争いはなく不安もない。しかし同時に人間らしさや個性が失われている。この世界に暮らすことは安定と引き換えに、自己の存在意義や創造性を手放すことだ。

この問いは現代社会におけるAIの役割を考える上で非常に重要だ。AIは私たちの生活を便利にし効率化する。しかしその一方でAIに依存しすぎると私たちは思考停止に陥り、自律的な意思決定能力を失うのではないか。AIが生成した情報やコンテンツに安住し自ら創造する喜びを忘れてしまうのではないか。

最後に

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』はこの二つを問いかけてくる。AIが私たちの思考や創造性を拡張し新たな可能性を開く「ハードボイルド・ワンダーランド」のような未来。そして感情や記憶を失い編集されドラマ化された自我の管理下で安寧を得る「世界の終わり」のような未来。

「世界の終わり」で暮らすことは安全で快適な選択かもしれない。しかしそれは同時に人間が人間であることの代償を払うことでもある。AIが進化する今、私たちは改めて人間らしい感情や思考そして創造性を大切にする生き方を選ぶべきではないだろうか。

それは村上春樹が40年前に私たちに示してくれた未来への重要な示唆なのかもしれない。

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