禁煙の葛藤:依存を乗り越えるか代替を求めるか?
喫煙の習慣をやめてもう20年ほどになります。
禁煙は多くの喫煙者にとって大きな決断であり語り尽くされてる感はありますが非常に深い葛藤を伴うものです。
その葛藤の中心には長年寄り添ってきたタバコという「依存」をどう手放すかという問いがあります。
完全に断ち切るべきなのか、それとも別の何かに置き換えるべきなのか。今回はこの「依存の代替先」を探すことの是非について私なりの葛藤を交えながら考えてみたいと思います。
完璧主義の罠

私は以前、禁煙は「完璧に」成し遂げるべきだと考えていました。タバコという悪しき習慣を意志の力で完全に断ち切り二度と戻らないことこそが真の禁煙成功だと認識していたのです。
そのため禁煙を試みるたびに私はタバコを吸いたくなる衝動をひたすら我慢しその衝動が去るのを待ちました。
しかしこの方法はうまくいきませんでした。タバコを吸わないという行為は私にとって大きなストレスとなり、やがてそのストレスが爆発し再びタバコに手を出してしまったのです。
タバコを吸いたいという衝動は単なるニコチン依存だけでなく手持ち無沙汰を解消する行為、集中力を高めるための儀式、あるいは休憩の合図といった生活に深く根ざした行動と結びついていました。

完璧な禁煙を目指すことはこれらの行動のすべてを否定することに他なりません。
それは自分の中から大切な一部を切り離すような感覚でした。
そしてその喪失感が私を挫折へと追い込んでいきました。
「禁煙」から「健康習慣への転換」へ
何度も失敗を繰り返す中で私は考え方を変える必要に迫られました。タバコを「やめる」ことだけを目的とするのではなくタバコに代わる何かを探すことはできないか。
つまり依存の対象をより健康的でポジティブなものに「転換」することはできないだろうか。
この考えに至ってから私の禁煙へのアプローチは大きく変わったような気がします。

1. 手持ち無沙汰の代替: タバコを吸いたくなったとき代わりにガムを噛んだりミントタブレットを口にしたりするようになりました。これは物理的な行動の代替です。
2. 儀式やルーティンの代替: 仕事で集中力が途切れたとき以前はタバコを吸っていましたが代わりに席を立ちストレッチをしたり、コーヒーを淹れたりするようになりました。
これにより気分転換を図るというタバコの役割を別の行動で代替することができました。
3. ストレス解消の代替: 最も難しかったのがストレス解消の代替でした。喫煙は私にとって一種のストレス解消行為でした。代わりに私は軽い散歩や好きな音楽を聴く時間を設けたり食事に時間をかけるようになりました。
これらの「代替行為」は禁煙の苦しさを和らげ大きな助けとなりました。
依存の「善悪」を考える
しかしこの方法にも葛藤が残ります。禁煙の真のゴールは依存そのものから自由になることではないのか? 代替先を探すことはタバコという一つの依存から別の依存へとただ乗り換えているだけではないのか?
例えばタバコをやめた代わりにカフェインや甘いもの、あるいはゲームに依存してしまったとしたらそれは本当に「成功」と言えるのでしょうか。
依存の対象が健康的になったとしても依存している状態自体は変わっていないのではないか、という疑問が浮かびます。
また健康的と言っても禁煙すると食欲が増すので太りますし。

禁煙は「タバコ」という特定の物質への依存を断ち切る行為です。
しかし人間はそもそも何かに依存することで心のバランスを保っているのかもしれません。仕事、趣味、人間関係、あるいはSNS…。私たちは多かれ少なかれ何かに依存しながら生きています。
そう考えると依存の代替先を探すことは決して悪いことではないのかもしれません。禁煙の本質は有害なものから健全なものへと依存の対象をシフトさせることにあるのかもしれないです。
目的地
私なりの結論は「禁煙」という目標に向かう過程で依存の代替先を探すことは決して否定されるべきではないということです。むしろそれは現実的で成功への可能性を高める有効な手段となり得ます。
禁煙は自分自身の心と深く向き合えます。完璧を目指して挫折するよりも不完全でも一歩ずつ前進し自分に合った方法を見つけることが重要だと考えます。タバコという依存を健全なものに転換しやがては依存そのものから自由になること。
それは禁煙という行為の目的地なのかもしれません。

