沖縄離島のIT化

既成概念

私はかつて沖縄のとある二次離島で勤務していました。その島へ赴任する際、私の頭の中には固定化された「離島のイメージ」がありました。それは「自然は豊かだが生活は不便」「現金主義が根強く残る」「ITとは無縁」といったいわゆる「スローライフな田舎」という既成概念です。



しかし実際に島での生活を始めて、私はすぐに自分の認識が完全に間違っていたことに気づかされました。
そしてその事実は私自身の「発信の認識の難しさ」を教えてくれたのです。

驚愕の「デジタル・アイランド」生活

私が足を踏み入れたその職場は驚くほどIT化とキャッシュレス化が進んでいました。


まず驚いたのがハイスペックで高速なPCと補器類が揃っていたことです。本土の都市部でも紙の書類で煩雑な書類整理を求められることが多い中、その島の職場では会社を挙げての強力なペーパーレス化が浸透してたこともあり多くの書類をデジタルで完結させようとしていました。

観光客向けの情報提供もWebサイトがメイン。老若男女問わずITリテラシーが非常に高かったのです。

次にキャッシュレス決済の普及率です。人口数百人程度の小さな集落の商店や路線バスや島々を繋ぐフェリーに至る公共交通機関、個人経営の飲食店でさえクレジットカードのタッチ決済や電子マネーを導入していました。

東京や大阪の繁華街ですら未だに「現金のみ」の店を見かける中でこの離島のキャッシュレス浸透率は圧倒的でした。

不便だからこそ解消しようとする

この驚くべき事実は一つの「当たり前の理屈」が私の既成概念によって見えなくなっていたことを示しています。
その理屈とは「不便な場所ほどその不便を解消するためのIT化が進む」ということです。


考えてみれば当然のことでした。本土であれば紙はホームセンターに行けば容易に安く手に入りますし現金は徒歩数分のコンビニのATMで引き出せます。つまり「不便」のレベルが低いため、わざわざ非効率なシステムを変えようというインセンティブが働きにくいのです。

一方で離島はどうでしょうか。


・ATMが遠い、少ない、または無い
島外へ行かなければ現金が手に入らない、あるいはATMの営業時間が限られている。


・物流・移動コストが高い
紙を取り寄せたり、取引先や役場の窓口に行くために燃料を消費したりするコスト(時間・費用)が大きい。

この「不便さ」は、島民と行政にとって「IT化しなければ生活が回らない」「生き残れない」という強力な推進力になったのです。

本土の都市部が「まあ今のままでもなんとかなる」という惰性で生きている間に、離島は「生き残るために変わるしかない」という危機感からイノベーションを先行させていたのです。

「田舎」という既成概念が認識を妨げた

この「当たり前の理屈」をすぐに認識できなかった最大の原因は冒頭で述べた「田舎」という既成概念です。
「田舎=遅れている」「離島=不便でアナログ」というステレオタイプが無意識の偏見として深く根付いていました。

このバイアスは私から観察力と客観性を奪いました。「離島だ」と思った瞬間に「IT化が進んでいるはずがない」と決めつけ事実をフラットに見ようとしなかったのです。
結果、現地に赴任して初めて自分の常識が非常識であったことに気づくという大きな遠回りをしました。

発信の「難しさ」は受け手の「既成概念」にある

この経験は私にとって「発信」や「情報伝達」に関する大事な教訓となりました。
情報を受け取る側には必ず何らかの既成概念が存在します。

私が現地で「離島なのにキャッシュレスだ!」と驚いて発信しても、実際に島を知っている人からすれば「何を今さら」という話です。
逆に島を知らない人からすれば「離島なのに」という驚きをもって受け止められます。(実際、初めて島を訪れる人はたいてい驚きます)

発信する情報(この場合離島のIT化の進展)の真実性とは別に、受け手の持つ既成概念の強固さや方向性によって情報が「驚き」になるか「既知の事実」になるか、あるいは「誤解」になるかが変わってしまう。これが発信における認識の難しさの正体です。

私たちは自分が信じる「常識」や「既成概念」が、実は特定の環境や条件のもとでしか成立しないローカルルールに過ぎないことを常に自覚し、その「当たり前」を疑う姿勢を持ち続けなければなりません。

なぜなら真のイノベーションや驚くべき事実は、往々にして私たちが「あり得ない」と切り捨てた場所にこそ隠されているからではないでしょうか。

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