もだえ苦しむカタカナビジネス用語
よく耳にするビジネス用語ありますよね。「アジェンダをフィックスして」「このタスクはマストではない」「バジェットとスコープを再定義しよう」
日本語じゃだめ?
どれもグローバルな仕事や効率を重視する現代ビジネスでは大切な言葉です。特に英語圏から入ってきた新しい考え方や一つの単語で複雑な概念をスパッと表現できる便利さは間違いなく私たちの仕事のスピードを上げてくれました。
でもたまに考えてしまいます。
例えば
「賛成です」→「アグリーです」
「保留で」→「ペンディングで」
「責任をもってやります」→「コミットします」
ここまでわざわざカタカナにしなきゃだめですか?
日本語に置き換えたところで意味は全く変わらないような気がします。むしろ日本語の方がスッキリと、老若男女誰にでもスムーズに伝わると思うのですが。
カタカナ語が増えること自体は時代の流れとしても、それがコミュニケーションの飾りやバリアになってしまうのは少しもったいない気がします。
誰のための「最適化」?

なぜこれほどカタカナ語を多用するのでしょうか。
単なる慣れでしょうか。周りが使っていると自分も使わないと「遅れている」と感じたり「プロフェッショナルではない」と思われたくないがゆえの心理があるのかもしれません。
もう一つは言葉の曖昧さを隠す日本特有なものでしょうか。
例えば「スキーム」という言葉は、「計画」「仕組み」「枠組み」など文脈によって意味がブレやすい傾向があります。
あえてカタカナ語の「ぼかし」を利用するという手法。

しかしそのカタカナ語を使い会議の参加者達が
「どういう意味?」
と立ち止まらせてしまうとしたら。その一瞬のタイムラグはとても非効率かもしれません。
言葉は全員の思考と行動を同期させるための道具です。道具として優れているのは「摩擦が少なく最短で相手に理解されるもの」のはずです。
易しい言葉
語弊があるかもしれませんが本当に実力のある人ほど難しい言葉を使わない気がします。なぜなら複雑な概念を誰にでもわかる平易な言葉で説明することが理解を得やすい高度な手段だと知っているからです。
スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクのような世界的なリーダーが難しい専門用語でスピーチを埋め尽くすことは稀だそうです。彼らが使う言葉は非常にシンプルで感情に訴えかける力を持っているからなのでしょう。
物事の本質を深く理解しているからこその能力です。
会議で
「アジェンダ」
を共有するよりも「何のために集まったのか」という目的を共有する。
「イシュー」
を抽出するよりも「今みんなで解決すべき問題は何か」を共有する。
伝わる言葉
言葉の選択はそのまま相手を思いやる表現の手段です。カタカナ語を否定するのではなくそれを「伝わりやすさ」というフィルターにかけて選ぶことが大事かと。
相手の時間を尊重し言葉の翻訳にエネルギーを向けるのではなく、本質的なアウトプットに集中させるための「最適化」であるべきです。

